「おれに守れるもの」

 もう四月も半ばだというのに体の芯までしみる寒さの中、土方帯刀は白い息を吐きながら高校の渡り廊下を走っていた。
「待てぇっ! 土方! 逃げるなぁっ!」
 続いて出てきたのはスカートをはいた女子生徒だ。羽音成美、土方と同じく二年生である。背中まで届く黒髪は美しいが、竹刀を構えて追いかける形相はちといただけない。
「貴様がそんな物騒なもん振り回してたら、逃げるに決っとるだろうが!」
「女の子一人泣かしておいて、ただで済むと思ってるのか!」
「ほかにどう言えってんだ!」
 渡り廊下を駆け抜けて、クラブ棟の中に入ると土方は派手に上履きを滑らしながら廊下に片手を着いて九十度ターンを決め、そのまま再びダッシュした。しかし羽音は竹刀を持っていたためバランスを取りきれず、肩から部室の壁にぶつかった。
「この・・・・・・覚えてろぉっ!」

「やれやれ、やっとまけたぜ」
 土方は教室に戻ると、どっかと席に座って一息ついた。
「何、また羽音さんと鬼ごっこ?」
「・・・・・・貴様、一度床とキスさせてやろーか」
 茶々を入れてくる友人の斉藤仁をにらみつけてから、かばんを取り出し帰り支度を始めた。斉藤はもうかばんを持っている。
「今度は何が原因だよ?」
「今朝の手紙」
 斉藤がああ、という顔をした。
「もう霧崎さんに会ったの?」
「昼休みにな」
「で?」
 興味津々と斉藤が顔を覗き込んでくる。土方はぶすっとした顔のままつぶやくように言った。
「いつもと一緒だよ。断った」
 この土方、実は結構ルックスはいい。おまけにスポーツも勉強も結構そつなくこなすんで男女ともにうけは悪くない。それでちょくちょく付き合ってほしいと告白されるのだが、どういうわけか全員、断っているらしいのだ。
「うらやましい奴」
 帰り道に一緒に歩いてる斉藤がため息混じりにつぶやく。確かにもてない者からすればうらやましい状況だが、それと同時に疑問もあった。
 なぜ、土方は誰とも付き合おうとしないのか。
 一時は女子の間で彼が同性愛者なのではというとんでもない噂まで広まったこともあるが、そうでもないらしいとわかると、残るのは疑問だけだった。
 疑問といえばもう一つ。
 断られた女子がことごとく土方を恨んでいないのだ。
 いい加減断られた女子の数も二桁になろうとするのに、誰一人として土方の恨み節を言う者がいないのは、珍しいのではないだろうか。今日の霧崎にしても、羽音が追いかけてきたのは彼女が泣いていたからというだけであって、決して霧崎も土方の文句を言ったわけではない。
「うえ、寒いわけだぜ。雪なんか降ってきやがった」
 二人が見上げると、どんよりと冴えない色の雲が垂れ込める中、白いものがちらちらと舞っている。
 駅前まで来た二人は、斉藤が本屋に用事があるというので土方は一人、駅へと向かった。
 前から聞こえてきた音が悲鳴だと気付くには、少し時間がかかった。
 目を上げると、前方に人だかりができている。悲鳴はその中からだ。と、その人だかりが割れた。いっせいに周りへ逃げ出したのだ。
「何、だ?」
 よく見れば、その中心に一人の人物がいることがわかる。その人物はこの寒空の下、上半身裸のようだった。
 変質者か? 土方がそう思った瞬間、そんなのんきな状況ではないことが明らかとなる。
 なんと突然銃声が轟いたのだ。それも一発や二発ではない。まるで機関銃でも撃ちまくっているかのように断続的に銃声が続き、あちこちで悲鳴や物が壊れる音がする。
 その付近にいた人は皆、物陰に隠れたり地面に伏せたりしており、土方もまた、地面に伏せていたが、隙をうかがって顔を上げたとき、意外なものが目に入った。

 そこには、偶然だが羽音も友人と二人で居合わせた。彼女らは駅から電車に乗ろうとやってきたところで、この事件に巻き込まれたらしい。
「きゃああっ!」
 突如始まった銃撃に集団はパニックになり、二人ははぐれてしまう。しゃがみこんでいた羽音は友人を探そうと頭を上げた。
「!」
 心臓が鷲づかみにされる。そんな感覚を彼女は始めて味わった。嫌な汗が額を伝う。
 背後に、男が立っている。
 その男の腕は、ひじから先が機関銃のようになっている。先ほどの銃撃の主だ。
 羽音は、本能的に背後の人物が危険な猛獣であることを認識した。それはひょっとしたら小学生のころから続けていた剣道が彼女にそんな勘を与えたのかもしれない。
「があぁっ!」
 男が獣のような叫びを上げる。それと同時に両腕を上げ、二つの銃口を羽音に向けてきた。
「・・・・・・!」
 声にならない悲鳴を上げた。いや、そんな時間はなかったかもしれない。男の声が消えるより早く響いた銃声に、反射的に頭を被ってしゃがみこんだ。当然すぐに訪れるであろう痛みを覚悟して。
 だが、痛みはいつまでたってもなかった。
 ゆっくり顔ををあげて恐る恐る振り返ると、目の前に学生服の背中が見えた。
「え?」
「大丈夫か?」
 学生服は土方だった。
「あんた、なんで? どうして?」
「おれにもよくわからねえよ。ただ夢中で飛び込んだら、手がこうなって、弾を受け止めれた」
 そういって彼は羽音に右手を差し出した。学生服の黒い袖から伸びている彼の掌は、まるで金属でできているかのように鈍く光っていた。
「これって・・・・・・」
「ああ、ミューテーションだな」
 前世紀末、地球規模で「何か」が起こった。それにより世界各地でさまざまな超自然現象が頻発し、それまでには考えられないような生物も次々と現れた。ミューテーションとはその人間版であり、それまでは普通に生活を送っていた人があるとき突然、体に変調を来たし、最終的には姿かたちが変わってしまう。多くは精神にも異常を来たし、凶暴な獣となんら変わらなくなってしまう。彼らを襲った男もそんな一人だろう。
「でも土方、あんた・・・・・・」
「ああ、おれは正気、だ・・・・・・」
 後半はほとんど聞き取れない。彼の顔が苦痛で歪んできた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?!」
 羽音は視界の隅に例の機関銃男を捕らえながら、右手を押さえてうずくまる土方を心配そうに伺う。
「右手が、痛てぇ・・・・・・!」
「いったい、どうしたのよ?!」
 そんなことは誰にもわからない。しかし次々と襲ってくる怪異に、羽音も半ばパニックになっていた。さいわい機関銃男はさっきからこっちを見てはいるものの、襲ってくる気配はない。だからといって安心できる状況でもないが。
「おおおおおおおおおお!」
 土方の叫び声に驚いて一歩下がってしまう。その目の前で、彼の右手はさらなる変化を始めた。
 金属の光沢を持った指が伸び、同時に指同士が融合していく。それだけではない。手のひらとの区別もなくなり、幅も細くなっていく。
「刀・・・・・・?」
 そう、それは紛れもなく刀、それも日本刀の太刀とほぼ同じ形式に見えた。
「なんで・・・・・・?」
 疑問を口にしたのは羽音だが、土方は無言で変わり果てた右手を見つめる。
「そういうことか」
「え? 何が?」
 それには答えず、土方は剣となった右手を振る。びゅっ、と空気を切る音が鳴った。
 彼はゆっくりと首をめぐらす。その視線の先には、あの機関銃男がいた。
「まさか・・・・・・」
 羽音が引きつった声を洩らすのを聞いて、土方は言った。
「そのまさかだよ。ここはおれがやるしかねーだろーが」
「ちょっ・・・・・・正気?! 相手は銃なんだよ? 素人が刀一本持ったくらいでどうにかできる訳ないじゃない!」
「だったら逃げろってか? できるかよ、そんなみっともない真似」
 続けて彼は何か言ったようだったが、羽音には聞こえなかった。
「とにかくおまえはどっか安全なところに隠れてろ」
 そう言うや、土方は走り出してしまった。
「土方?!」
 羽音ははっとなってあの機関銃男を捜したが、相手も土方を追って走り出していた。土方は注意を自分に向けて、彼女の安全を確保したのだ。
 走りながらしかし、彼は迷っていた。羽音の言うとおり、刀一本でどう戦えばいいのか。羽音から引き離すところまではうまくいったが、この後どうすればいいか、まるでわからない。そもそも彼は武道の経験もケンカの才能もない。
 その時、銃撃音が彼の耳を叩いた。
「うぉっとぉっ!」
 とっさに急ブレーキをかけて止まると、すぐ目の前を銃弾がかすめていった。
「?!」
 機関銃男は驚いた表情をしている。なぜ今のが当たらなかったのか理解できないようだ。しかし同じような疑問は土方も感じていた。
 (なんでおれ、今のが避けれたんだ?)
 しかし、のんびり考えている場合ではない。
「これだけ離れりゃいいか。じゃ」
 言うや否や、彼はなんと機関銃男に突進していった。間合いを詰めないと刀の攻撃が届かないためだが、相手もそうやすやすとは許しはしない。
 ガガガガッ!
 男の両腕が立て続けに火を噴くが、土方にはそこから飛び出す銃弾が、野球のボールが飛んでくる程度に見えた。これなら避けられる。そこまで考えて土方は理解した。
 (そうか。右手だけじゃなく、俺の目もミューテーションしてんのか)
 それなら最初に羽音を狙った銃弾を受け止めたことも、さっきの銃撃を避けたことも説明がつく。
 これなら勝ち目もある。土方はそう考えながらも飛んでくる銃弾を避けつつ、相手に肉薄する。
 機関銃男の動きがスローモーションのように見え、その顔が驚愕に引きつっていくさままではっきりとわかる。
 もらった! 土方は十分に間合いを詰めたところで右手の剣を叩きつけようとした。
 (えっ?)
 重い。右腕が信じられないほどに重いのだ。まるでタールの中を動かしているようで、ゆっくりとしか動かない。
 (まさか?)
 理由にはすぐに思い至った。視神経をはじめとする神経だけが強化され、筋肉が以前のままだとしたら、こういう状態になるのではないか。ゆっくり動いているのは相手だけではない。土方自身もまたスローモーションのようにしか動けないのだ。しかも剣など木刀すらろくに持ったことのない土方ではまともに振るえるはずもなく、あっさり機関銃男に躱されてしまう。そればかりか勢い余って頭から地面に突っ込んでしまった。
「土方!」
 起き上がる前に銃口がこちらに向くのが見えて、土方はそのまま地面を転がった。相変わらず体はのったりとしか動かないが、それは相手も同じだし、何より飛んでくる銃弾が見えるので対処はできる。
 対処はできるが、決め手は何もない。
 タイミングを見て起き上がるが、接近することはできても、こちらの攻撃はかわされてしまう。向こうの攻撃もかわせるから、これでは決着がつかない。せめて相手の銃を潰せればとも思うが、片方に集中するともう一方から撃たれるので結局うまくいかない。
 そんなことをしているうちに息が上がってきた。相手は平気な顔をしている。これはまずい。土方の顔に焦りが出始めた。
 その時だった。
「ちょっと! 貸してみなさい!」
「へ?」
 なんと、こともあろうに羽音が土方のすぐ脇にきていた。
「お前っ、何してんだ! とっとと逃げろって」
「素人が真剣に振り回されてるのを見てると、こっちまで冷や冷やするのよ」
 そういって土方の発言を封じると、彼女は土方の右腕を握った。
「何・・・・・・っ?!」
「柄もつかもないのね。ほんとに刀身だけなんだ。扱いにくそ」
 その瞬間、
 ガガガガガ!
「きゃああっ!」
 土方が羽音を押し倒すようにして銃弾を躱し、そのまま近くに止めてあった車の影に飛び込んだ。
「わ、忘れてた・・・・・・」
「ちょっと! いつまで乗っかってんのよ!」
 羽音が顔を真っ赤にしながら叫ぶ。助けてやったのにその言い分は何だよとぶつぶつ言いながら土方が離れるその背後で、羽音がやけに女の子らしい表情をしていたのだが、無論、土方は知る由もない。
「懐までは入れるんだけどなあ」
「土方、ひょっとして、目、凄くよくなってるんじゃない?」
「ん? ああ、動体視力だっけ? 動いてるものはかなりゆっくりに見えるぜ。やつの銃弾もそれで避けれた」
「それじゃあ、あたしの動きに合わせて動くって言うこともできる?」
 へ? と一瞬間抜けな表情をしたが、羽音の言わんとしていることを理解すると
「なるほどね、おれがおまえの動きをトレースするわけか」
 にやり、と土方がくちびるの端で笑う。普段ではコントにしかならないが、今の土方の能力があれば、可能かもしれない。
 しかし、土方は相手の銃弾が見えて回避行動が取れるが、羽音はそれについていけるだろうか?
 雪はいよいよ本格的に降ってきて、あたりは白いヴェールをかけたようになっている。かなり冷え込んでいるはずだが、二人には関係ない。
「まずおれが飛び出してって、真っ直ぐやつに突っ込んでく。銃弾はこの剣で払い落とすさ。おまえはおれのすぐ後ろを走ってついて来い。左右にそれるなよ、流れ弾に当たるから。で、おれがやつの懐に飛び込んだら一度やつと組み合う。おまえはそのときにおれに追いつけ。おまえがおれの右手を握ったら、後はおまえに任す」
「そんな! むちゃくちゃだよ! 一発でもミスったらあんたどうなんのよ!?」
 普段見慣れぬ羽音の必死の表情に土方は内心驚いたが、だが彼はぽんと彼女の頭をたたくと言った。
「心配すんな。一発もおまえになんか当てさせねーよ」
 そんな事言ってるんじゃない! 羽音は叫びかけたが、土方はすでに向こうを伺っている。それは、戦う男の顔だった。それを見た羽音は、もう何も言えなくなってしまう。
 さーっと一陣の風が吹き、小規模な地吹雪で視界が一瞬悪くなる。
「行くぞ!」
 叫ぶと同時に車の影から飛び出し、ダッシュをかける。羽音も遅れずについて行く当たり、伊達に体育会系ではない。
 ガガンッ! ガガガガンッ!!
 はじめの一瞬こそ攻撃はなかったが、すぐに彼らの行動がわかったのか、立て続けに銃弾が二人めがけて飛んでくる。土方は刀を体の前に掲げて最小限の動きで弾をはじくが、それでも何発かはさばききれず、肩や頬などで赤いものがぱっと散る。
「土方っ!」
「気にすんな! それより遅れるなよ!」
 攻撃を受けながらの強行突破なので、前進速度はかなり遅い。それに近づけば近づくほど攻撃は激しくなっていく。土方は足や腕にも銃弾を受けていたが、それでも止まろうとはしない。
 もうあと一息。機関銃男が目の前に見えたとき、相手が土方の気迫に押されたのか、一歩後ずさった。
「逃がすかよおっ!」
 土方は渾身の力をこめてジャンプし、機関銃男にタックルするように飛びつく。それでも相手は倒れないが、これで銃撃は封じた。
 そこへ羽音が土方の右手を握り、すばやく切り上げる。
 ザンッ!
「ぐわあぁああっ!!」
 土方と羽音の剣は、見事に相手の左腕を付け根から切り飛ばした。
「やった!」
 二人が喜んだ瞬間、
 ガァァン。
「土方!」
 機関銃男は残っていた右手の銃で、土方のわき腹に至近距離から撃ってきた。血しぶきが飛び散り、白い雪を赤く染める。
 ぐらり、と倒れそうになる土方が、しかし踏みとどまる。
「?!」
「おまえは、詰めがあめーよ」
 そういうと、彼は体が倒れるに任せながら、相手の背中から突き立てた『左腕』で、そのまま手前にざっくりと切り裂いた。
 彼の左腕もまた、剣に変わっていたのだ。右に比べればかなり短い。脇差くらいだろうか。しかしそれ以外は右手の太刀となんら変わらない。
 機関銃男は傷口から大量に出血し、声もなくその場にくず折れる。だが土方も決して軽症ではない。立っていられずにふらつくのを羽音があわてて支える。
「大丈夫?! なんであんな無茶するの! 死んじゃったら意味ないじゃない!」
「無くはねーよ」
 弱弱しいが、声はしっかりしている。両手も元に戻っていた。
「好きな女を守るために死ねるんなら、男として本望だぜ」
「え・・・・・・」

 しばらくして救急隊や警察か駆けつけて、救護活動や現場整理を始めた。幸い土方は大怪我ではあるが命に別状はないらしい。どうも撃たれた瞬間、体をひねって急所を避けたようだ。彼の能力ならではだろう。
 羽音もあちこち傷だらけだったが、どれもたいした怪我ではなく、病院に搬送される事もなかったが、土方が救急車で搬送されるとき、事情の説明のために同行する事になった。
 羽音が救急車に乗ろうとしたとき、背後から聞こえた声にふり向くと、この騒ぎではぐれた霧崎が泣き顔で走ってくるのが見えた。
「よかったぁ!。無事だったんだね」
「成美こそ、結構怪我してるのに、大丈夫なの?」
「うん!」
 これ以上ない笑顔で、羽音は言った。
「あたしを守って、戦ってくれた人がいるから」
「あ、ひょっとして」
 霧崎が何か言おうとしたその時、救急隊員が羽音を呼んだ。
「じゃあ、ちょっと病院行ってくる。ごめんね」
「あとでちゃーんと全部聞かせてもらいますよ」
「ん、わかった」
 バン、と救急車のドアが閉まると、サイレンの音もけたたましく走り去っていった。
「そっか。ついに告白したんだ、土方君」
 少し遠回りをしたが、遅い春が二人の上に訪れたようであった。