「クリスマス・ディナー」


 数日前に降った雪も、もうすっかり消えていた。
 久々のホワイトクリスマスを期待していた青年は、まあ仕方ないさと軽く肩を落とすだけで、さっさと今晩へと気持ちを切り替えている。
 やっとのことでデートにこぎつけた相手は職場の同僚だが、決して手近なとこでの妥協などではなかった。ちょっと世間ずれしたところはあるが、ロングヘアの似合う、なかなかに魅力的な女性だ。
 女性経験どころか、ろくにデートすらしたことのない彼は、もう何度目になるのかわからない身だしなみのチェックを再び繰り返し始めた。もっともここは公園の片隅なんで、鏡も何もないんだが。
 日はすっかり落ちている。吐く息は白くなっている。彼は時計を見ると、そろそろ待ち合わせの時間だ。
 と、公園の入り口とは反対のほうから足音が聞こえた。何気なくそちらを見ると、彼女がコートの裾を整えながら歩いてきた。
 「驚いたな。もう来てたんだ。気がつかなかったよ」
 正直な気持ちだった。確かにこの公園は木が茂ってて見通しは悪いが、それほど広いわけではない。彼はもうかれこれ20分ほどここにいたのに、彼女の存在にはまったく気がつかなかった。
 だが彼女はそれには答えず、わずかに微笑んだだけで、行きましょ、と歩き出したので、彼は慌ててその後について歩き出した。
 その時、彼は妙なことに気がついた。
 それは違和感、とでもいうのだろうか。いつもの彼女には感じなかった、奇妙な感覚だった。しかし彼にはその時、それがなんであるのか、特定することはできなかった。
 二人が去ったあと、公園を風が吹いたのだが、それはわずかに腐肉のような異臭がした。

 ディナーは、近くに彼が予約していたイタリアンレストランでのパスタのコースだった。さすがに本格的な料理はためらわれたので、気軽にできるようにと考えた挙句のメニューだったのだが、おおむね彼女には好評そうだった。ただ彼にすれば意外だったのが、彼女は思っていた以上の健啖家で、スープにハーフピザ、メインのパスタに食後のデザートでは物足りないらしく、口にこそ出さなかったものの、明らかに不足そうだった。
 「静かなところがいいわ」
 食後、二人は近くの波止場へ来ていた。ここは夜は港沿いのビルの夜景がきれいに見える場所で、彼があらかじめネットで調べておいたのだが、なかなかにロマンチックでいいところだった。難をいえば地形的に寒すぎることだろうか。吹きっさらしということもあり、体感的にはかなり冷える。
 もっとも、実はこれも計算のうちで、彼にしてみればこの寒さで向こうから身体を寄せてくることを期待したのだが、先程から彼女のほうは柵越しに冬の海を見たり、あたりを見回したりとまるでこの寒さを感じていないようだ。彼のほうといえば、彼女さえいなければ建物の中へと跳んで入りたい気分なのだが。
 あたりに人気はない。それはそうだろう。誰もすき好んでこんな寒いところへは来やしない。彼らはある意味、特別なのだ。
 その特別なイベントを実行しようと、彼はコートのポケットへとを伸ばした。
 心臓が高鳴るのが嫌になるほどはっきりわかる。この年になってちょっとガキっぽいかとも思ったが、やはりクリスマスにプレゼントは・・・。
 「あ、あれ?」
 ポケットの中で、指が空を切る。このときのために数日前に買っておいて、きれいにラッピングまでしてもらったアクセサリーの入った小さな箱は、どこにもない。どうやら部屋にでも忘れてきたらしい。
 「そ、そんなあ・・・」
 途方に暮れる彼を、彼女は不思議そうに見つめた。
 「どうしたの?」
 「・・・じつは」
 かなりみっともない話だが、彼はこのクリスマスにプレゼントを用意していたこと、そしてその肝心のプレゼントを忘れてきてしまったらしいことを彼女に告げた。
 「ホント、ごめんっ!」
 両手を合わせ、彼は頭を下げた。が、一向に彼女からの声がない。もしかしてものすごく怒ったりしているのだろうか。
 彼は恐る恐る顔を上げてみた。
 そのとき、彼女のほうから海風がさっと吹いた。それが妙に生臭いことに彼は気がついた。まるですぐ近くに腐肉でもあるような。
 「わたしね、まだ食事、食べたりないのよ」
 それは彼も感じていた。だがそれが今、何の関係があるんだろう?
 「だからね、プレゼントは別のものをちょうだい」
 「別の?」
 彼にはまだ、彼女が何を言っているのかわからなかった。だから次の瞬間に起こったことも、まるで理解できなかった。それはある意味、彼にとって幸福だったのかもしれない。
 彼女は口を開いた。それもただ開けたのではない。まるで顔全体が口にでもなったかのように、耳までどころか後頭部近くまで裂けている。中には人間のものとはとても思えない、例えるならサメか何かのような細かく、そのくせ不揃いにとがった歯がびっしりと詰まっていた。
 彼女はそのまま伸び上がると、彼の頭を丸呑みにし、一瞬にして食いちぎってしまったのだ。
 ごり、ごり、ごり、と数度噛み締めるとどうやら砕けたらしく、ごくんと飲み込んでしまった。不思議なことにまだ立ったままだった残りの部分も、見る見るうちに彼女のディナーの続きとして体内に消えていく。後には血痕すら残らなかった。
 「さすがに二人食べれば、ちょっとは足しになるわね」
 そうつぶやいた後、思わずげっぷが出て彼女は慌てて口に手を当て、誰が見てるわけでもないのに赤くなった。
 そのげっぷは、腐肉のように生臭かった。