「風の村の少年」

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 それは、唐突に始まった。


 山々の森の間にひっそりとある街道沿いのフェムールは、いつも独特の風が通り抜ける国境近くの小さな寒村だった。


 そんなさびしい村にある日、降ってわいたような災難が襲い掛かってきた。街から軍人が飛行龍でやってきたのだ。そして村長に開口一番


 「村を脱出しろ」


 命令口調でこう言い放たれては、返す言葉もなかった。かろうじて理由だけでも尋ねたところ、隣国が突如国境線を越えてきたらしい。国境線はこのフェムールからそんなに離れていない。


 軍は村を守ってくれないのか?
 そんな問いかけにもとにかく早く全村民を避難させろというだけで、さっさとその軍人は引き上げてしまった。どうやら軍はこの村を放棄するようだ。



 そのころ、村に住む12歳の少年リクトは、広場の脇にある大きな倉庫の中に遊びに来ていた。

< br> ここには意外なものがあった。外ではいつも肌に感じられる風がなく、空気が澱んで薄暗くほこりっぽい倉庫の中に、見上げるほど大きな巨人像がうずくまっているのだ。土でできているようで、触るともっと硬質であることがわかるし、関節などから中に空間があることが伺える。また背中には特徴的な三対六枚の羽のようなものがあり、これもまた像というには繊細すぎる気がする。


 リクトはこの巨人像が気に入っていた。以前に村の長老がこの像は『風の王機』という今は失われた古代技術によって作られた機械であり、かつてはこれが自らの意志で動き、戦場を駆けていたという話を聞いたからだ。


 「いつか、こいつが動けばいいんだけどなあ」


 リクトは少年なら誰もが抱くであろう夢をぼんやりと抱いていた。


 「へぇ〜。こんなところにまだこんなのが残ってたんだ。もう大陸には一台も残ってないと思ってたよ」


 「!!」


 突然静かな倉庫内に響いた声に、リクトは腰が抜けるかと思うほど驚いた。


 「おや、先客がいたのか。こりゃ失礼」


 「い、いえ・・・・・・」


 リクトははじめ、その人物を見たときにきれいな人だと感じたが、彼にはその人物が男なのか女なのか判別はできなかった。それほどに整った顔立ちをしていた。人間離れしているかと思うほどに。


 「君、この村の子?」


 「う、うん」


 「この巨人のこと、何か知ってる?」


 無邪気な子供がする質問のように、リクトに聞いてきた。それは確かに天真爛漫な子供のような口調だった。


 「あんまり・・・・・・大昔に動いてたってことぐらい」


 「ふーん、そうなんだ」


 そういうと、突然現れた人物は巨人像の回りを行ったり来たりしながら観察していた。


 「あ、あの」


 「ん?
 ああ、自己紹介がまだだったね。といっても僕の名前は事情があって言えないんだ。周りからは『気まぐれな火曜日』って呼ばれてる」


 「あ、ボクはリクト」


 互いに自己紹介をしたのだが、もしこのときリクトが中央の事情に詳しければ、目の前にいるのが『七曜』と呼ばれるこの大陸で最高位の能力者集団の一人だと気付くだろうが、もちろんそんなことは知る由もない。


 「リクトは避難しないの?」


 「え?
 避難って?」


 そう、まだリクトはこの村が戦火にさらされようとしているということを知らないのだ。


 そのことに気付いた『火曜日』はしかし、戦争のことは話さずに別の話題を出した。


 「リクトはこの巨人が好き?」


 「うん!」


 その目は純粋でまっすぐに『火曜日』を見つめ返してきた。彼らがどこか遠くに忘れてきたものを秘めて。そんな少年をまぶしそうに見て、『火曜日』はまるで空中を飛ぶように巨人像の前に移動すると、右手をかざした。


 「・・・・・・うん、ずいぶん古いけど、ただエネルギーがないだけだな。リクト、彼はまた動くことができるよ」


 「ホント?!」


 『火曜日』の元に駆け寄ってきたリクトは期待で顔が輝いていた。


 「ああ、ホントさ。動くだけじゃなく、かつてのように戦うことも可能だよ。だけどそれは同時に、問題も発生することを意味してるんだ」


 「?」


 リクトはよく理解できないようだが『火曜日』はそんなことはお構いなしに続けた。何しろ彼の名は『気まぐれ』なのだから。


 「力を持つということは、それと同時に義務も背負うことになる。責任と言い換えてもいい。この『風の王機』を復活させることで、君には絶大な力と膨大な責任が同時に発生することになる。それでもいいかい?」


 「・・・・・・よく、わからないよ」


 ふっ、と『火曜日』が微笑んだ。


 「そりゃあそうだよな。まだわからないもんな。でも君には大きな可能性がある。事と場合によってはそれは世界を変えることができるかもしれない。その可能性にかけてみるのもいいだろう」


 そういうや彼は振り向き、巨人、『風の王機』に向かい、両手を突き出す。


 「寝ぼすけの王様や! そろそろ起きてくれないかいっ!!」



 同じ時、兵士が去った後の村の集会所では大騒ぎになっていた。
< br> 即座に避難をすべきだという意見。先祖より受け継いだ地を離れることはできないと主張する者。進行してくる隣国の軍隊に早々に投降して当面の安全を確保すべきだと同意者を募ってみたり、あるいは反対に徹底抗戦すべきだとして武器になりそうなものを集めに駆け出したり。

 皆、主義主張や面子、体面を取り繕おうとする者ばかりで、まるで意見がまとまらない。そんなに人口の多い集落でもないのに、つい先ほどまで一緒に暮らしてきたもの同士なのに、いったん、平和という覆いが外れただけでこのざまだ。

 狭い集会所は蜂の巣をつついたような状態になっていたが、その時、

 「おい! あれを見ろっ!」

 と一人が窓から身を乗り出してどこかを指差した。いっせいに皆が窓に駆け寄ってその指差すほうを見る。

 そこには村と隣国との境に横たわる森林から立ち上り、風に流れる土煙が見えた。

 「てっ、敵襲だっ!」

 そこからはもう、パニック状態である。とにかくわれ先にと出口に殺到したものだからかえって混乱が助長され、収拾が付かなくなってしまった。それでもなんとか集会所の建物から出た大人たちが見たのは、森の木々の間からまるであふれ出すように夥しい数の兵員が現れたのだ。その瞬間、村人らは凍りついたように動けなくなった。相手は歩兵ばかりだが銃器で武装し、厳めしい装甲服を身に着け、一目でそれとわかる訓練された動きを見せている。まさしく破壊し、殺戮するための集団であるという臭気を当たり一帯にまき散らしているのだ。それに対してこちらは単なる民間人の、それも統制すら取れなくなった烏合の衆でしかない村人では、その後の展開など火を見るより明らかだ。

 侵略軍の兵士は次から次に森から現れる。あっという間に村人の視界は彼らで埋め尽くされてしまった。

 ものすごい人数の人間が一堂に集まっている。だがほとんど音がしない。異様なほどに。ただ風だけが静かに流れている。

 兵士一人ひとりの顔まではわからない。ゴーグルとマスクで完全に覆われている。よく見れば装備品で多少の区別は付くのだが、恐怖で固まった大人らにはそこまで観察する余裕はとてもなかった。

 奇妙なにらみ合いは永遠に続くかと思われたが、実際にはほんの数分だったのかもしれない。敵軍の中の一人が片手を挙げることで、そのにらみ合いは打ち切られた。

 ジャカッ!

 いっせいに兵士らが手にしていた銃を村人に向けて構えたのだ。

 「ひぃっ!!」「うわっ!?」

 硬直していた村人らが再びパニックになり、集会所に戻ろうといっせいに回れ右をする。その背中に向けて銃弾の雨が降り注がんとした。

 轟っ!!

 突風が何の前触れもなくその場を吹きぬけた。その力たるや、重装備の訓練された歩兵らすら立っていられなくなるほどなのだから、相当な強さである。

 そして、その場に居合わせた人々は見た。集会所の屋根のさらに上。空中にたたずむように浮かんでいる巨大な人影を。

 それは、村人にはなじみのものだった。だが、彼らが知っているそれとは埃にまみれ、くすんだ表面をさらしていた。今、目にしているのは純白の装甲に陽光をきらめかせ、威厳すら漂わせた雄雄しい姿をしている。

 村人ばかりか、侵攻してきた兵士らまでもがただ呆然と上空のその巨人を見つめていた。それでも先ほどの司令官らしき兵士が何事が命令すると、侵略軍は上空の巨人に銃弾を浴びせ始めた。

 カンッ! カンッ! カンッ!

 銃くらいでは傷すら負わすこともできないらしい。悠然と弾丸を鎧を模したと思しきその身に受けていたが、やがて腰に挿していた太刀を抜き放つ。

 ぎらりとある意味凶悪な光を放ち、その巨大な剣が現れると巨人『風の王機』はそれを構えて背中の六枚の羽をはためかせ、一気に侵攻軍に向かって急降下してきた。

 今度はパニックになるのは敵軍のほうだった。あれほどきれいに取れていた統率はあっさり崩れ、ばらばらになってしまった。それでも容赦せずに『風の王機』は敵軍に一刀を振り下ろした。

 ただ一刀。それだけだった。それだけで兵士らはきれいに一掃されてしまった。ただ剣圧がすごいだけではない。それ以外の見えない力も作用したのはあきらかだ。でなければ一撃でこれほどきれいに撃退できるはずがない。あとに残っているのは呆然としている村人と名残の風だけだった。

 「す、すごい・・・・・・」

 誰かがつぶやいた。それを口火に爆発したような歓声が沸き起こる。巨人への、救い主の登場への喜びの声だ。

 「・・・・・・」

 そんな村人の声を、リクトは『風の王機』の中で聞いていた。彼が動かしていたわけではない。少年が村を守りたいと思っただけで、あとは『風の王機』が勝手に動いたのだ。



 「さぁて、リクト。君は大きな力を手にした。そしてそれを行使した。これで歴史は大きく動く。それは君の責任だよ。力という可能性を手にした代償としての責任だ。その責任をどう取っていくのか。難しいのはこれからだよ」

 『気まぐれな火曜日』ははるか上空で、さも楽しそうにそうつぶやくと、何処かへと去っていった。