プロローグ

 空にはどんよりと黒い雲がたち込め、そこから大粒の雨がシャワーのように降り注いでいる。寂れた街路に人影はなく、雨が道を泥川のようにしている。そんな中を一人の男が歩いていた。グレーの防水マントを羽織り、猫背になって進む姿はこの雨でシルエットとなり、まるで死神か何かのようだった。
 男は一軒の酒場の前に来ると、店の名前を確認すると中へ入っていった。外見同様、店の中もだいぶくたびれていた。カウンターとテーブルが4つほど。客はカウンターの隅に女が一人いるだけで、後はバーテンがカウンターの中にいるだけだ。おそらくここのオーナーだろう。
 男は入り口脇のハンガーにマントをかけ、カウンターに腰を下ろすと軽いアルコールを注文した。程なくしてバーテンが注文の品を持ってくると同時に男はバーテンに聞いた。
 「このあたりで、先の大戦の面白い話が聞けるって聞いたんだが、あんた、知らないかい?」
 50そこそこに見えるバーテンは眉を寄せ、怪訝な顔をした。
 「ああ、俺はフリーのジャーナリストなんだ。今、あの大戦の記事を書いてるんだが、調べてるうちに奇妙なうわさを耳にしてね」
 大戦とは、今から60年ほど前に起こった南北両大陸全土を巻き込んだ世界大戦のことだ。南北境界付近から火がついた戦争はやがて全世界を巻き込み、あらゆるところに死と破滅を撒き散らした。だがこの戦争では奇妙なことに、勝者と呼ばれるものが存在しない。すべての勢力が等しく多大な被害を受けている。主要都市がことごとく甚大な被害を受けたため、情報が錯綜したのだが、その中でも奇妙な噂があちこちで囁かれるようになった。曰く、北大陸から南大陸までを巨大な光の矢が貫いた。曰く、大地から巨人が翼を広げて天空へ飛び去った・・・・・・。この男は、大戦の真実の姿を知りたがっていた。
 「この店に来れば、情報があるって話を聞いたんだけどなあ」
 しつこく食い下がる男に、バーテンは辟易しているようだ。無理もない。大戦からこっち、世界はめちゃくちゃに荒れ、いまだ復興には程遠い状況だった。それにもう60年も前の話である。戦争経験者のほとんどが鬼籍に入ってる今、まともにあのころの話をできる人間を探すほうが難しくなっている。
 「なあ、何でもいいんだ。何か聴いたことはないか?」
 「面白そうな話をしてるわね」
 もう一人の客、カウンターの隅に座っていた女性が声をかけてきた。男は改めてその女性を見たがまだ若い。30そこそこといったところか。腰まで届く銀色の髪に青い瞳。なかなかの美女である。
 「あんた、何か知ってるのか?」
 男は探るような目つきで聞いた。この女性が何か知っているとは思えない。若すぎる。
 「ええ、知ってるわよ。あの戦争のことならずいぶんいろいろと、詳しくね」
 「ど、どういうことだ?!」
 信じられなかった。彼女の親か、あるいは親族に従軍経験者でもいたのだろうか。しかし彼女のこの思わせぶりな態度からしてそうではないと男の本能のようなものが告げている。
 「こんなとこで昔話もなんだから、上に行かない?」
 ここは街道の宿場町の酒場によくあるように二階が宿屋になっている。彼女はそこに泊まっているらしい。
 男は、自分がひょっとして危険な領域に近付きつつあるのではないかとチラッと思ったが、それ以上深く考えることはやめ、飲みかけていたグラスを持って女性について席を立った。
 「うわっ!」
 部屋に入るなり、男は驚いて大きな声を出してしまった。部屋に入ってすぐの壁に巨大なレリーフがあったのだ。高さ2メートルくらいの裸婦像。女神像だろうか。
 「ごめんなさい。邪魔でしょうけど、わたしにとっては大事なものなの」
 「い、いや、きれいなレリーフだね。でもなんか変なような・・・・・・」
 「ああ、それはもともとわたしの機体のコクピットハッチだったものだからじゃない?」
 「え? 機体?」
 「ええ、わたしの直装機、ディスヴォルクの」
 「!!」
 直装機、北大陸ではストレイダーとも言われているそれは、全高15、6メートルほどもある巨大な人型兵器だった。先の大戦は、この直装機が使われた有史以来初めての戦争だった。もともと直装機はこの世界に生まれた技術でできたものではない。今から100年ほど前に南大陸のジャングル奥の古代遺跡の中で見つかった巨人像。それがすべての始まりだった。調査団がこの巨人像がただの立像ではなく、動力によって動くいわゆるロボットのようなものだと発見するまでそれほど時間はかからなかった。それからおよそ6年後、初めて巨人像が人間の意志で立ち上がった。直装機の原型である。この技術はあっという間に全世界に伝播したが同時に奇妙な事も起こっていた。それは誰も、直装機がなぜ動いているのか本質的なことはまるでわかっていないということだった。遺跡で見つかった巨人像の構造は現代人には理解不能な部分が多々あり、そういったブラックボックスはただ内部構造をまねるしかなかった。つまり直装機はブラックボックスの塊だった。
 直装機は工房などで量産され、各国が次々と導入していった。この世界ではすでに戦闘機や戦車などが実戦配備されていたが、直装機はそれらとはまた違った働きを期待されていた。そうして起こった世界大戦は、ある意味必然だったのかもしれない。そして戦争が終わり、ほとんどの直装機が破壊され、残った機体も徐々に解体が進み、今ではもう残っている機体は全世界に数えるほどとなっている。
 「あんたの機体、って事は、あんたは・・・・・・」
 「そうよ。わたしはこないだの大戦を戦った直装機乗りの一人」
 ありえない。
 「ディスヴォルクっていや南のヴォルクのプロトタイプだろう? それのカスタム機っていや2、3機しかないはずだ。女神像をつけた機体っていや・・・・・・」
 「そう、わたしの名はリス。大戦中はリス・ディスヴォルクと呼ばれていたわ」
 リス・ディスヴォルク。かつて南大陸の西端に位置したラムランス国の外人部隊に在籍していた男勝りの傭兵として有名な人物だ。大戦に多少なりとも興味のある者で彼女の名を知らぬものなどいない。元はラムランスの正規軍に属していたが、その功績に直装機を与えられて以来、より自由度の高い自国の外人部隊に入った。
 「待ってくれ。いくらなんでもそれはありえない。いくら女は化けるっていっても、俺にはあんたが70以上のばあさんには見えんよ」
 「わたしの上官は、あの褐色の死神、グランだったわ」
 「!」
 大戦のことを調べていると、あちこちで奇妙な出来事に出くわす。そのどれもがにわかには信じがたい『伝説』のようなものなのだが、注意して調べていくとあることに気付く。それらが時系列に沿って移動しているように見えるのだ。そしてそれらとともに聞こえてくる言葉。
 「あの褐色の機体っていうのは、実在したのか」
 「ええ、同盟や北の連中に死神と恐れられたグラバランスは、確かにいたわ」
 女−リスは片手に持っていたグラスを傾ける。その目は遠くを見つめていた。
 「彼のせいで、いいえ、彼のおかげでわたしはまだこの姿でいられる。おそらくあと100年は間違いなくこのまま行き続けるでしょうね」
 男は愕然とした。
 「何で、そんなことが」
 とてもではないが信じられることではない。だが男はすでに頭のどこかで、目の前の女性が間違いなく大戦の生き残りだと信じ始めていた。
 ふふ、とリスが妖しく微笑む。
 「彼は、神様だもの」
 それから男が聞いた話は、彼の歴史観を大きく揺さぶるものだった。
 翌日、男は酒場を後にした。しかし彼がリスから聴いた話を公にすることはなかった。とても信じられそうになかったからだ。人間同士の戦争の裏で、神々の戦いが繰り広げられていたなど・・・・・・。