蛍とブルーベリーと

 ここ数日、というかもう半月ぐらい前からだが、わたしの調子は稀にみる最悪期だった。何しろこの期間に書けた原稿が100字程度というのだから、我ながら呆れる不調っぷりだ。当然、患ってる病気が病気なだけに体調も芳しくない。毎晩のように襲ってくる倦怠感、疲労感。そして罪悪感。口にこそしなかったが久しぶりに自殺を考えた。夜中、12時過ぎに突然「車で出かけてくる」と言い出したこともある。じっとしていることに耐えられなかったのだが、嫁が引きとめ、とりあえずその場はおとなしく寝れた。
 そんな状態なので、週末に予定していたマキノ行きは、本当に直前まで行くか行かないか決まらなかった。前日の晩には体調が悪いし原稿も進んでいないのでやめようといってたのに、朝になって「やっぱり」などと言い出したり。でも嫁の体調もいまいちなので長時間の運転は難しいとなると、わたしはわたしで車に乗ると薬のせいかすぐ眠くなるので、頻繁に休憩を取りつつ、ちょくちょく運転を交代することにし、結局土曜の昼前に滋賀へと向けて車を出した。
 途中、いつも行く平和堂で食料を買い、4時前には現地に着く。あちこちから人の声やものの焼けるにおいがするが騒がしいというほどではない。わたしらは昼食らしい昼食は摂ってなかったが、軽くビスケットなどをコーヒーで流し込んだくらいで我慢し、夕食を早めにした。夕食といっても惣菜などだが。で、食事が終わったら風呂だが、ここは近くに2つ、温泉があるが、どちらもやたらに混む。それを見越して7時前に行くとすんなり入れたが、風呂から上がって着替えていると場内アナウンスで待ってる客がいると言い出した。もう30分遅かったら待たされてただろう。
 風呂から戻ると、いよいよ今回の目的の一つである蛍狩りである。風呂の受付で聞いたところによると、もう遅いかもしれないという悲しい情報だったがそれでもとりあえず出かける。まだ夜は肌寒いくらいだが念のため虫除けをスプレーし、三脚とデジタル一眼を持って嫁と出かける。
 マキノのアジトから蛍の見れそうな最寄のポイントまでほんの少し歩かなくてはいけないのだが、出発前に聞いた「家の前にも2匹くらいいる」という情報が気になったので、道々あたりの木の葉などを注意してると、確かに近くに1匹見つけた。蛍が見れるというポイントからは多少離れているので、その当たりに小さなコロニーでもあるのだろうか。どちらにしろ短い一生、がんばって次の世代に繋いでほしいが、果たして無事に伴侶を見つけられるだろうか。
 やがて蛍のポイントにつく。そこは田や畑が広がっている一帯で、思っていた小川のようなところではなく、こんなところで見れるのだろうかと多少不安になったことを覚えている。事実、ついたすぐはただ闇が広がり、そろそろ顔を出し始めた蟲や蛙の声がわずかに聞こえるという程度だった。だが、すぐそんな不安は打ち消された。あのはかなく可憐な光が現れたのだ。しかし思っていたよりずっと数は少ない。あっちにポツリ、こっちにポツリといった感じで、それがより切なさを思わせる。
 わたしは持っていたカメラを三脚にセットし、何とかこの蛍を撮ろうとしたがあまりに光量が少なすぎ、またわたしもカメラの感度を上げる操作法を知らず、撮影は断念してしまった。
 一生のほとんどを幼虫の姿ですごし、成虫になったらほんの一瞬で燃え尽きてしまう命。彼らはその生をどう思っているのだろう。ふとそんなことを考えてしまう。だがすぐ別の思いも浮かんでくる。彼らは懸命に、必死に生き残ろう、命を繋ごうとそれだけを考えて生きているはずだ。それが例え遺伝子に組み込まれたプログラムレベルであっても、少なくとも彼らは自分の生き方に疑問を持ったりはしないだろう。そう思うと、彼らをうらやましくも感じた。
 人は、彼らより優れた生き物なのだろうか?
 翌日も長期予報とは違って晴天に恵まれたので、もう一つの目的だったブルーベリー狩りに出かけた。イチゴ狩りやなし狩りなんかは経験があるが、ブルーベリーは初めての経験だ。というかわたしは生のブルーベリーを食ったことがない、と思う。ほとんどジャムかケーキなんかに入っている形のつぶれたものしか知らない気がする。
 ブルーベリーは割と低い木に、まさに鈴なりに実っていた。8月ならその場で食べ放題らしいが、このときは渡された容器一杯持って帰れるだけだった。それでも二人でかなりの量を採ることができた。戻って早速いくつか食べてみたが、当たり前だがジャムなんかに比べれば味は薄く感じた。このときのブルーベリーは今でも冷蔵庫に入って、朝食のヨーグルトに添えられている。
 結局、今回のマキノ行きではPCは持っていったものの、仕事は一切しなかった。(途中のコンビニでプレジデントは買ったが)それでも、ストレスは多少発散できた気がする。帰りの渋滞はかなりストレスだったが。マキノに限らないのだろうが、インターネットがそこそこ快適に使えて、宅配などがさしたる苦労もなく利用できるなら、ああいう田舎暮らしにひどくあこがれる。街中で暮らしていると、知らず知らずのうちにストレスが溜っている。夜、電気を消して布団に入ると、本当に静かなことに驚かされる。聞こえるのは蟲たちの声と、ときおり轟く害獣避けの空砲音(?)だけ。自分が自然の中にいるようと言うと大げさだが、何か落ち着くのは確かだ。あそこは「行く場所」ではなく「帰る場所」なのかもしれない。