実物大ガンダム

 マスコミ各社は政権の話でうっさいけど、ここはいつものごとく世間の空気を読まずに行きます(^^;
 いやまあ某テーマ曲じゃなくホントのことなんですが(^^; 行ってきました&見てきましたお台場ガンダム
 以前から行きたいとは思ってたんですが、自力で行くのは難しいなあとほぼあきらめていたんです。それが28日金曜の夜、某ドライバーY氏からTELがあって「週末ヒマ?」と。聞けば急に土日の予定があいたんで、せっかくだしガンダム見にいこうかと、車で(^^;。その電話があったのが大体午後8時くらい。わたしゃ思いっきり行きたかったんですがその日は運悪くめったにない嫁の帰宅の遅い日で、11時くらいにならないと帰ってこない。一方ガンダムに行くには土曜の早朝、早ければ早いほどいい。結局メール等で嫁に許可をもらい(それでも11時過ぎてしまった)土曜の午前4時くらいに合流して一路東京へ。
 途中何度か休憩を取りつつ、そんなにあわてて行かなかったんで、現地に着いたのは昼の12時くらい。で、もうすごい人。そんななかうまい具合に簡単に駐車場も見つかり、ガンダムを見に少々歩く。
 あの潮風公園の松林の上にガンダムの後姿が見え始めたとき、着てよかったなあとホントに思いましたよ。
 遠くから見ても、近寄ってもほとんど印象が変わらないのはすごいと思います。一切妥協してないんだね。とてもFRP製とは思えない質感は十分すぎるほどリアルでした。
 ただまあ、左肩はね、しょうがないっちゃあしょうがないんだけど、できれば「WB」のマーキングで見たかったなあ。
 本音を書くと、自分がガンダムのような戦争(紛争、テロ等の暴力を含む)を扱ったアニメや小説、コミックが好きであることに対するジレンマはある。わたしの持論がマクロな戦争は必要悪だと思っていることも、人前でおおっぴらに主張したりはしない。湾岸戦争が始まったとき、わくわくしなかったといえば嘘になる。
 それでも戦争というものが悲しいものだという認識はある。できれば避けるべきだという意識もある。
 どちらもわたしの偽らざる想いである。だから、わからなくなる。
 わたしは戦争が好きなのだろうか。人は戦争から逃れられないのだろうか?
 今、国の中心となって動かしているのは、大体我々の親くらいの世代だと思う。幼少期成長期で戦後を生き抜いてきた、まさに「この国を建て直した」人々である。そのことは尊敬に値する。しかし彼らは自分たちの経験からかどうかはわからないが、「戦争」をことさら触れてはいけないことのように扱わなかっただろうか? その結果我々の世代は戦争を「他人事」のようにしか捕らえられなくなってはいないだろうか? そうでなければ「ガンダム」のような戦争を娯楽の対象としてメディアがデカデカと扱うような世の中になっていなかったのではないだろうか。
 まあだからって今のこの国のすべてを否定する気はありませんよ。国際社会で間違いなく後進国だったこの国を先進国水準まで引き上げたのは前述の方々だし、同時に「ガンダム」なんかをわたし達に娯楽として提供してくれたのも、世代的には同じ方々なんですよね。
 世界中でガンダムみたいな話を笑ってみんなができるようになればいいんですけどねえ。