廃墟の心霊写真

 金出栄治は友人の新谷等と、以前から大学内でも話題になっていた廃墟へと夜道を車で走っていた。
 車内には、ハイテンションの音楽が少々大きめのボリュームで流れている。二人も他愛ない話をしながらときおり声を上げて笑っていた。ようは何のことはない、二人ともこれから自分たちの行く廃墟が怖いのだ。しかしうっかり大学の学食で二人が行く、などと口にしたものだから友人たちがじゃあ写真とって来て見せてくれよ、と言われてしまい、引くに引けない状況になったのだ。
 森の中の道は農道のような未舗装の、かろうじて車のわだちが見えるだけの粗末なものだった。これは少々奇妙な話である。この道の先には廃墟があるが今でこそ廃墟になっているものの、もとはまっとうな建物でありそれなりにこの道も使われていたはずである。それなのにアスファルトすら敷かれていないというのは、どういうことなんだろうか。
 未舗装であるが故の激しい振動を車内の二人は必要以上にはしゃいでしばらく進む。当然ながら街灯などは期待できるはずもなく、不気味に赤味がかった下弦の月が薄く光る中、ヘッドライトが照らす範囲のみ視認できる道を金出はかなりゆっくりと車を進めていく。時折森がざわめいているが、幸い二人は車内の音が大きすぎて気付くこともなかった。
「あ、あれじゃないか」
 金出が木々の切れ間から前方に建物の影を見つけた。
「と……先客?」
 森を抜けて廃墟のある空間に出てくると、建物の門の前に、真新しいセダンが止まっており、その脇には金出らとそう変らないであろう若い女性が二人、不安げに彼らを見つめている。
「えっとぉ〜、もしかして君たちも肝だめしかなんか?」
「いえ、ここが心霊スポットだと聞いて……」
 金出にはどう違うのかよくわからなかったが、彼女らも似たような目的で来ているのは違いないようだ。
「とにかく、入ってみますか」
 新谷がデジタルの一眼カメラを車から引っ張り出した。
「わ、大きい。すごーい」
 ショートカットの娘が新谷の垂らした餌に食いついた。金出は携帯のカメラ機能を確認していた。
「その携帯、ちょっと変ってますね?」
 もう一人のロングヘアの子が金出の携帯に興味があるかのように近づいてくる。もちろん、金出も彼女がホントに携帯に興味を持っているとは思ってない。
「たいしたことないよ。もういい加減古い機種だし。あ、俺は金出。あっちは新谷。俺らは西都大の学生」
 そう言いながら金出は自分のを女性に見せる。
「わたしは木村由美子。彼女は古谷唯。わたしたちは淀大で古典を勉強してるの」
「おーい。そろそろ行こーぜ」
 新谷が金出らに声をかける。
「あいつ、ついさっきまで嫌がってたくせに」
 二人は苦笑しながら合流すると、廃墟の門をくぐった。
 敷地は思ったほど広くはないようだ。外から見たときは闇夜でよく見えなかったせいもあるだろうが、もっと広いようなイメージがあったのだが、門を入るとすぐに建物の玄関前に着く。
「どうする? 一回外まわってみるか?」
 新谷が持っている懐中電灯を後ろの二人に向けてたずねてきた。
「ちょ、いきなり顔を照らすな。目がくらむ」
「ああ、悪い悪い」
 すぐに新谷は懐中電灯を地面に向けた。その光の残像がまだ消えない視界に、金出は何かを見たような気がして、はっとそちらを見た。
 ……何もない。正確には新谷のそばにいた古谷が立っていたのだが、ただそれだけで何も不審な点はない。
「何? どうかしたの?」
 木村が金出の顔を覗き込むようにして心配してくる。
「いや、気のせいだ。ちょっと緊張してるんだろう」
 彼は先ほど一瞬見えたものがただの幻覚だと思い込もうとした。目鼻から血を滴らせた少女の生首など、見えるはずがないと。だが彼はここでさらによく考えるべきだったのだ。その生首だけの少女の顔が、誰かに似ていなかったかということを。
「裏に回るのはちょっと骨だぜ。今回は中だけにしないか」
 金出は自分の持っているマグライトで建物の脇を覗き込んでみたが、もともと狭い上に雑草が生い茂って、とてもではないがここを通るのは難しいように思えた。
「そうだな」
 新谷が馬鹿でかいライトで建物を夜の闇から浮かび上がらせた。
「病院だったって聞いてたんだけど、違うよな?」
「そうね。どっちかって言うと、研究所っぽくない?」
 古谷が早くも新谷の腕にすがっておびえた表情を見せている。もっとも金出には媚びているようにしか見えなかったが。
「研究所ねえ。それだともっと面白いんだが」
 なにが面白いのかよくわからなかったが、新谷は先に立って古谷と二人で建物の入り口に行く。入り口はすりガラスのはめ込まれた観音開きのドアだが、左右ともガラスが割れて中が見える。古谷はしばらく懐中電灯で建物の中を照らしていたが、やがて振り向いて言った。
「駄目だな。中はすげー荒れてる。足の踏み場もないって感じだ。入るだけでも一苦労しそうだぜ」
「そのドアくらい開けられないか?」
 金出はマグライトで入り口のドアを示す。
「難しいんじゃねーかなあ。……って、お?」
 なんと、新谷がドアノブを掴んで引くと、ほとんど抵抗もなくドアは開いた。きしみ音一つない。
「……何なんだよ、一体……」
「呼ばれてたりして」
 古谷が茶化す。彼女はまるで怖がっていないようだ。
「呼ぶって、誰が?」
 金出の腕にしがみつくようにしている木村が、おずおずといった感じで友人に尋ねる。
「そりゃ、この建物の住人でしょ?」
「何だっていいよ。入り口の写真は撮っとくか」
 新谷が懐中電灯を古谷に渡してデジカメを構える。フラッシュまでは持ってきていないので、内蔵フラッシュを使用するため、少々時間がかかった。その時金出も持っていた携帯で数枚の写真を撮った。念のため液晶画面で確認したが、そのときには特に変ったものは写っていないように見える。画面が小さいので詳しくはわからないが。
 そうこうしているうちに新谷も何枚が写真を撮った。一眼レフ独特のメカニカルなシャッター音が深夜の森に響き渡り、その音の意外な大きさに一同は思わず首をすくめた。
 しかし、それだけだった。そのあと建物の中を少しばかり探検したが、四人が見たのは荒廃し、さまざまなごみにあふれた部屋ばかりだった。
「なんか幻滅」
「ま、現実はこんなもんじゃないの?」
 新谷が笑顔で言った。所詮うわさはうわさでお化けも幽霊も出なかったことに安堵しているのが見え見えだ。
「こっちで撮った写真、送っとこうか?」
 くれと新谷が返してきたので、金出は彼の携帯に金出が取った写真をまとめて送った。
 金出の携帯は比較的新しいものだったので、それに付属しているカメラ機能も下手なコンパクトデジカメより優秀な部分があったりする。しかしそのおかげで撮った写真のデータサイズが大きくなってしまうのが難点といえば難点だ。今回も軽く三十枚以上撮ってたのでメールするのに少し時間がかかった。
「これなりゃ直接メモリーカードでもらえばよかったな」
 メールのダウンロードに時間がかかっているようだ。
「ね? 二人はどうやって帰るの? 車、一台しかないみたいだけど?」
 古谷が聞いてくる。
「俺が新谷の部屋まで送っていくつもりだったけど」
 言外に何を言いたいかわかりながら、わざと金出はわからない振りをした。
「よければカレ、アタシが送ろっか? アタシの家に行く途中だし」
 そんな都合のいい話があるかよと金出は胸のうちでつぶやいたが、「え? いいの?」などとすっとぼけて新谷は古谷に任せた。
「あの……」
 いつの間にそこに立っていたのか。金出は背後から声をかけられて少なからず驚いた。
「わたし、帰りの足がなくなっちゃって」
 すでに古谷のセダンは走り去っている。ずいぶん身勝手な奴だとは思うものの、だからといって木村嬢をここに放り出して帰ることが出来るほど、金出の神経は図太くできてはいなかった。それに新谷もただ送ってもらうだけのつもりであろうはずがない。当然、それを見越して古谷もあいつを送るなどと言い出したのだろうし。
 しかし、と金出は思いをめぐらす。古谷はともかく、この木村はそんなに遊びなれているようには見えない。服装こそキャミワンピにデニムのボトム、肩にサマーカーディガンを羽織っているという、いたって普通のオンナノコなのだが、どこか幼く見える。夜遊びに慣れていないせいで緊張しているのだろうか。
「乗れよ。送るからさ」
 彼女はありがとうと礼を言うと、助手席に滑り込んできた。
 続いて金出も運転席に乗り込んだのだか、奇妙な違和感にとらわれた。
 車内が涼しい。というか肌寒い。もう深夜になろうという時間だから閉め切った車内でもそう温度は上がらないだろうが、それでも屋外より温度が低いというのはどこかおかしい。念のためエアコンが動いてなかったかどうか確認したが、そもそもキーは金出自身が持って出ているため、エアコンなどつけれる訳もない。
 しかし奇妙なのはそれだけだったのでさして気にもせず、金出はキーをひねると車を出した。
「家はどのあたり? 行けそうなら家まで送るけど?」
 だが木村の口にした場所は、ここからかなりある。この時間でも車を飛ばしても軽く二時間はかかってしまうようなところだ。無論、そんな言葉を信じているわけではない。
「今から帰るとなると、ちょっと時間がすごいことになっちゃうなあ」
 我ながらわざとらしいと思いながらも金出はちょっと困ったように片手をこめかみに当てて、考えるポーズをとる。
「もうちょっと降りたら、休憩できるところがあるんだけど、そこで一眠りしていかない?」
 あまりに露骨過ぎる誘いかとも思ったが、以外にも木村は表情一つ変えることなく同意してきた。あっさり話が行き過ぎている気がしたので、かえって金出が警戒のまなざしで木村を見たが、彼女は助手席でやや顔をうつむかせ、黙って車に揺られている。窓から入る光が弱いせいか、びっくりするほど白く見える。まるで水墨画で描かれたようだ。金出は以前テレビで見た幽霊を描いた水墨画を思い出した。確かに今の木村はそんな雰囲気である。
 いくらか車に揺られて森を出たところがちょうど宅地のはずれになっており、そこに一軒のファッションホテルがあった。最近建て直したらしく、場所に似合わずしゃれた外観である。もっともこれも陽光の下で見ればただの安っぽい装飾にしか見えないのだろうが。
 金出は、木村が嫌がるかなとも思ったが特に何も言わないまま、車は建物へと入る。彼はざっと駐車場を見渡して空いているところへ手早く乗り付けた。
 車から降りると二人は奥にある入り口でキーを取って部屋へと上がる。
 部屋は、この手のホテルとしては狭いほうかもしれない。入ってすぐに風呂への扉があり、正面にはベッドが部屋の大半を占拠している。内装のピンクはお世辞にも趣味がいいとはいえないが、使い勝手がいいので金出は数回だが使って知っていたのだ。
「わたし、ちょっと先にシャワー使わせてもらいますね」
 ああとあいまいに金出は返事をした。どういうわけか、部屋に入った瞬間から奇妙な眠気に襲われていたのだ。立っているどころか座っていることさえつらい。彼は投げ出すように体をベッドに預けると、そのまま眠ってしまった。遠くで水音が聞こえたのが最後の記憶だった。
「うわっさむ?!」
 次に彼が目を覚ましたのは、あまりの寒さのせいだった。だが彼は目覚めた姿勢のまま固まってしまう。
 彼は、自分の車の運転席に座っていたのだ。すぐ脇のドアは開いている。助手席のほうを見れば誰もいない上にこちらも運転席側同様、ドアが全開になっている。
 金出は最初、車が立ち木か何かにぶつかってその衝激でドアが開いたのかと思った。しかしすぐにそれはありえないことがわかる。エアバックは作動していないし、第一車は草の茂みに止まっており、何かにぶつかった形跡はない。だがあたりを探しても木村嬢の姿はない。
 彼は警察に届けるべきか、携帯を見ながらちょっと迷った。ホントに行方不明なら届けるべきなのだが、なにしろ情報が少ない。名前がわかるくらいで後は似顔絵作成に協力できるくらいだ。と、そこまで考えて、そういえばさっきの廃墟で写真を撮ったなと携帯の中の画像を検索しだした。
「……どういうことだよ?」
 思わず口に出してつぶやいたが、それさえも自覚できなかった。
 写真は、彼女らを写した画像だけが乱れてまともに見られなくなっていた。新谷を写したものや、建物だけを写したものに異常はない。女性のどちらかが写っていたであろう画像だけが選んだかのように見れなくなっているのだ。
 ここに来て金出は急に冷たい氷を腹に抱え込んだような気分になった。あわてて車に飛び乗ると、急いで彼は部屋へと戻る。途中、何度もミラーを見たくなる衝動に駆られたが、それより恐怖が勝り、一度も見ることはできなかった。
 転がり込むようにして部屋に入ると、ようやく人心地ついた。
 ポケットの中身をテーブルに出して服をしまおうと思ったが、何かが指に絡まる。
「……うわっ!」
 長い、髪の毛だった。それもかなりの量がある。
「なんだよ……なんなんだよっ!」
 金出は半分パニックになりながら服ごと脱ぎ捨てると、そのままゴミ箱に突っ込み、シャワーを浴びに風呂場へ行った。
「ひっ!」
 鏡に映った彼の上半身。その首には両手で握り締めているような赤いあざのようなものに覆われていた。
 結局、彼はそのままシャワーを浴びることもなくベッドに飛び込むと、震えながら眠った。
 翌日、昼前に大学に顔を出した金出は、更なる事実に恐怖することとなる。
「……あれ? 新谷は?」
「今日は見てねー。休みじゃないの?」
 夕べのことが気になっていた金出は、新谷の携帯にかけてみた。
『お客様がおかけになった番号は、現在使用されておりません。もう一度番号をご確認のうえ……』
 携帯を持つ手が震えた。改めて見ても番号は昨日まで新谷にかけていた番号だ。電話帳機能を使っているので間違いようがない。それでも念のため、友人の携帯からもかけてもらったが、同じ音声が流れるだけだった。
「夕べ、何があったんだよ?」
 聞かれるままに夕べのことを話し出した金出は、途中ではっと思い出したように持っていたかばんを取り出し、その中を狂ったように探し始めた。
「あった!」
 それは小さなメモリーカードだった。
「ちょっ、そのノート貸してくれ」
 半ばひったくるように友人の一人が使っていたノートパソコンを借りると、そのカードリーダーにメモリーカードを差し込む。
「ああ、デジカメの写真か」
「いや、オレの携帯のやつなんだけど、携帯じゃ画面が小さすぎて……」
 画像が現れた。
 液晶画面に映し出されたのは、おそらく最後に撮ったものとみられる、新谷と古谷が並んで笑っているはずの写真だった。
 確かに写っている、笑っている新谷は。
 その隣に立つ人影は黒く塗りつぶされたようになっていて、判別がつかない。だが問題はそんなことではない。
 数人が一台のノートパソコンに群がっているので、何事かと通りかかった女生徒がモニターを覗いた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 画面いっぱいに映し出されたのは、笑っている新谷に二重写しのように写っている、恐怖に引きつり、あらん限りの叫びを上げていると思しき新谷の顔だった。