「狂気」


 室内は、すでに異様な熱気に包まれていた。
 「ぎぃやぁぁぁぁっ!!」
 ここは南軍の取調室のひとつで、先日、バルアド国内で取り押さえた北軍と見られる間諜の取り調べが行われている。
 「あああああああっ!!」
 スパイの取り調べには、必ず三人以上で当たることとなっている。まず取調官。基本的には彼が取り調べのすべてを行う。次にその取り調べを記録する書記官。端末で記録情報をモニタリングしたり、補足情報を入力したりする。最後に私のような監督官だ。これは行き過ぎた取り調べが行われていないかなど、三勢力が唯一署名している戦争条約に違反していないか監視するのが主な目的なのだが、実際には・・・。
 「あっ! あっ! あっ!」
 この娘は、もうずいぶん前から意味のある言葉を発しなくなっている。
 そう、まだ大人というには無理のある幼い身体が、机の天板の上に大の字に縛られて、もはや衣服としてはとっくに機能をなしていない布切れの間から見える。
 その身体も、そこらじゅうが傷やあざに彩られている。火傷の痕もある。
 「うわあああああっ!!」
 そうなのだ。実はもうずいぶん前から戦争条約というのは意味を失っている。戦争そのものが長期化する中、人心はすさむ一方で、人々のストレスは加速度的に増大していく。それは前線の兵士とて変わらない。その結果が、倫理観の欠如と嗜虐嗜好の増大だった。
 この部屋に入ったとき、私は大きなため息をついたものだ。なぜ北軍は、猛獣の檻に餌を投げ入れるようなまねをするのだろうと。
 どう見ても充分な訓練をつんだ専門家には見えなかった。おそらくは同盟あたりの農民をにわかスパイに仕立て上げ、送り込んできたのだろう。上層部もそう見てるから、我々のような部署に尋問を担当させたりしたのだ。本来であれば情報部が捕虜の尋問は行うはずだ。
 だがある意味、今回の取調官も専門家には違いなかった。
 「いやあああああ!!」
 捕虜の取調べには、戦争条約によって基本的に刃物や銃などといった武器の類は用いることができない。例外的に違反行為を発見し、それを静止するのに必要と判断した場合に、監督官のみ拳銃の使用が許可されている。今回もそれについては表立った違反はないのだが。
 「ひぎぃぃぃっ!!」
 そもそも、これは本来の捕虜の尋問ではないのだ。最初から誰もこれが戦争条約に則っているなどとは考えていない。かく言う私も、この部屋に来る前から、そのことはわかっていた。
 娯楽なのだ、これは。その証拠に隣にある監視室からは、マジックミラー越しに何人もの兵士たちが、この情景を見物しているはずだ。取調官もまた尋問などする気もなく、調書の用紙はいまや拷問道具と成り果てていた。用紙のふちを立てて、そこで肌を切り裂いているのだ。無論、鋭利な切り口ではないために痛みも半端ではないだろう。先程、その切れ味の悪い刃物ともいえない刃物で、なんと片方の乳首を切り落としたのだ。それ以外にも全身の切り傷のほとんどが、この即席の刃物でつけられている。
 また木材を引き裂いて作ったような木の針は、何本もが幼い肉体に突き立てられていた。これも普通の針とは違ってささくれているので、その痛みたるや想像を絶するものがある。残っているもう一方の乳首は、横からこの針が貫通していた。
 「はぁ、はぁ、はぁ」
 間諜の少女は、荒い息をついている。目はうつろで、口からは血の混じったよだれが流れていたが、誰も気にもとめなかった。疲れているというのもあるが、それ以上に、薬の影響も大きいだろう。すでに注射で5本、いや6本もの薬物が彼女に打たれていた。それらは自白剤ではないのは明らかだが、だからといって私は止めることはできなかった。
 「へへっ、こいつももうもたねえかな」
 取調官が下卑た台詞を言う。確かにこの分ではこの少女の命は長くはないだろう。今は治療のための人員や薬品は貴重となりつつあるのだ。このご時勢に敵国のスパイに充分な処置を施すのであれば、そもそもこんな拷問など行わないであろう。
 私は一刻も早く、この部屋から出たかった。だが職務上、それはできない。彼女の血まみれの手が、私を捕らえている。そんな光景が幻視される。
 狂っている。
 私は思う。取調官も、この南部も、この世界も狂っていると。
 そして、もちろんこの私も。
 私は、ゆっくりと腰にある拳銃に手を伸ばした・・・。