神戸ルミナリエ

 昨日から神戸の街で「神戸ルミナリエ」が始まりました。わたしは過去に一度だけ見にいったことがあるんですが、確かに一見の価値はある、見事な光の芸術でした。
 もともと震災で多大な被害を受けた神戸の街を元気づけようと始まったこのイベントも、今ではすっかり神戸の十二月の恒例行事になってきたと思います。
 しかしここ数年は財政悪化から、毎年開催が危ぶまれるという状況が続いてます。原因はこれも今更感はありますが、景気悪化に伴う企業からの寄付等の減少とのこと。実際毎年開催日程は微妙に減少しているようにも感じられます。これになんとか歯止めをかけようと、開催期間中に会場で寄付を集めている姿を見ました。
 確かに一般来場者に寄付という形で費用を負担してもらうのは悪くはない考えだと思いますが、根本的な解決にはほど遠いのではないでしょうか。恐らく主催者もそんなことはわかってはいると思いますけど。
 以前、開催期間中の昼間に会場を通りかかった事があるのですが、あの電飾を支えている柱って、結構大雑把な加工の角材を組み合わせているだけなんですよね。夜になればそんなのは見えないし、だいたいみんな光の方ばかり見てるから問題はないんでしょうけど、その時はなんとなく興を削がれたような気がしました。
 それで思ったのですが、昼間は電機メーカーが太陽光発電や(小規模)風力発電でバッテリーに充電し、それを使って夜、灯りをともしてはどうでしょう? もちろん出力が全然足りないのはわかっています。でも来場者数のハンパないイベントで企業名がどんと出せるのは広告としては悪くないと思うのですが。同様にライトも今は恐らく電球だと思うので、より消費電気の少ないLEDに、どこかのメーカーが交換に名乗りを上げれば同じように大きなニュースとなると思います。
 要するに夜だけではなく、昼間も見物のあるイベントへとシフトしてはどうかとおもうんです。期間中、会場となっている通りの店舗は休業を余儀なくされているところもあります。それでは何か違う気がするのです。
 神戸は今も震災を引きずっています。それは目に見える形ではなく、想いという目に見えない形で残っています。「震災を忘れるな」とよく聞きます。確かに忘れてはいけないのでしょう。でも、どこかで想いを断ち切らなければ、「震災」は終わらないのではないでしょうか。反省すべき点をしっかりと確認し、打つべき手をすべて打ち尽くしたなら、もう忘れてもいいのではないでしょうか。
 「死」は、人が背負うには少し重すぎるように思うのです。